「クリスマス」はラテン語で「クリストゥス・ミサ」と言い、Christ(キリスト)+mas(礼拝)のことです。そもそも「Christ(キリスト)」というのは、名前ではなく「救世主」の事で、ギリシア語で「油を注がれた者」という意味があります。古代オリエントの時代、新しく玉座に就いた者は、「頭の上からオリーブ油を注がれる」という習慣がありました。
私たちはイエス・キリストは12月25日にベツレヘムの馬小屋で生まれ、イエスが眠る真上で星が止まり、賢者達はその幼子に贈り物をしたと教えられてきました。
王の言葉を聞いて博士たちが出かけると、見よ、前に東の国で出るのを見た星が彼らの先に立って、幼児のいる所まで行って止まった。彼らはその星を見たとき、大喜びに喜んだ。家に入って、幼児が母マリヤと共にいるのを見ると、ひれ伏しておがみ、宝箱を開いて、“黄金、乳香、”没薬を“贈り物として”捧げた。
「新約聖書 福音書」塚本虎二 訳
岩波文庫
図書部の生徒達は、イエス・キリストの降誕祭であるクリスマスは「収穫祭」を起源とし、古い習俗に神話、民話が混じりあい、時代や場所を経ることで現在の形になったと推測します。そもそも異教であった「サンタクロース」はいかなる形でキリスト教の行事へと組み込まれていったのでしょう。
北欧では闇が支配する「極夜」を恐れ、画家ゴヤはサトゥルヌス神を我が子を食らう怨霊として描きました。死者達とともに存在したこれらの神々は、それと対照的な聖ニコラウスやスカンジナヴィアのユルボックを加えながら子ども達の枕元へ贈り物を届けてくれるやさしいおじさん(フランス語でペール・ノエル)、老人へとその姿を変えてきました。
サトゥルヌス祭りは、はじめの頃、12月17日におこなわれていたが、第一帝政の末期には祭日が7日間延長され、その結果12月24日まで届くことになったのである。古代ギリシア・ローマ時代から中世にいたるまで、「12月の祭り」にはおしなべて共通の性格があった。そこでは緑の植物で建物が飾られ、贈り物の交換がおこなわれ、子供たちにもすてきな贈り物がなされたあと陽気な祝宴が張られ、富んでいる者と貧しい者、主人と召使が、仲良く平等のおつきあいをした。
「火あぶりにされたサンタクロース」
著:クロード・レヴィ=ストロース、訳・解説:中沢 新一
KADOKAWA
この本の訳者、中沢新一はクリスマスは普遍的な心理構造をもった人間がよく似た思考によってつくりだした「異教的伝統」であり、それゆえ日本でも受け入れられてきたと分析します。
【バニシュテ村(ブルガリア)のシルバチカリ】
~なんだか懐かしい・・・感じがします~
クロード・レビィ=ストロークの考察する「贈与」と冬にお面を被って人々の前に姿を現す「死者達」。民俗学の視点からとらえてみると面白いですよ。
この冬におすすめの1冊です!