沿革

明治40年に設立された中学校(旧制)を嚆矢とする本校は、平成29年に110周年を迎えました。現在、3科10系統の多様な科・コースを誇る男女共学校として、さらなる飛躍の時を迎えています。

沿 革

 

明治40年 4月 8日 石田 米助により広島市宝町に中学校を創立
大正10年 3月 中学校を山陽中学校に改称
昭和8年 1月27日 山陽商業学校を創設
昭和20年 8月6日 原爆のため校舎及び付属施設全焼
昭和21年 4月17日 広島市元宇品町旧高射抱隊跡を仮校舎として授業再開
昭和22年 3月31日 学制改革により新制中学校併設
昭和23年 3月12日 広島市宝町の新築校舎に復帰
5月3日 学制改革により新制高等学校普通科、商業科に改める
6月1日 高等学校に定時制課程を置く
昭和35年 1月26日 広島市観音新町の県有地払い下げを受け、工業科(機械科、電気科)を創設
昭和41年 4月1日 全課程を宝町校地より観音新町校地に移す
昭和46年 12月23日 校長に滝口 忍郎(元県教育長)就任
昭和47年 4月1日 石田学園と分離し、山陽中、高等学校は新学校法人広島山陽学園として発足
(理事長 正岡 旭)中学校生徒募集停止
6月16日 校長に宇都宮 満(元県高等学校校長会会長)就任
昭和48年 7月1日 格技場及び食堂(3階建)完成
昭和50年 4月1日 電気科生徒募集停止、LL教室完成
昭和53年 5月1日 校長に浜本 正弘(元県教育次長)就任
昭和58年 1月31日 二号館改築工事完了(4階建、図書館、製図室、普通教室、その他)
昭和59年 4月24日 理事長に滝口 忍郎就任
昭和60年 4月1日 校長に児玉 稔(元県中学校校長会会長)就任
昭和61年 4月1日 理事長に宗政 美三(元県弁連会長)就任
平成2年 2月27日 理事長に山本 誠就任
4月 1日 校長に秋岡 修就任
平成4年 3月 3日 校長に大石 昌之就任
平成5年 4月1日 普通科にAコース、体育コース設置、商業科を情報処理科へ改組
平成7年 3月16日 一号館、研修館完成
平成10年 3月 7日 理事長職務代理者に佐保 文生専務理事が兼務で就任
4月1日 校長に脇 康冶(元県立図書館館長)就任
平成12年 4月1日 普通科に国際情報コース設置
10月17日 理事長に岸 英雄就任
平成15年 4月1日 普通科(一般)に選択パック制導入
平成16年 4月1日 校長に津田 義則就任
9月10日 ソフトテニスコート人工芝工事完了
平成17年 10月30日 野球部室内練習場完成
平成18年 4月1日 普通科Aコース改編 国公立専攻・クラブ専攻を設置
平成19年 3月1日 グラウンド人工芝工事完了
10月28日 100周年山陽祭
平成22年 4月1日 普通科改編 特進コース・進学コースを設置
校長に田邊 康嗣(元広島県公立高等学校長協会会長)就任
平成23年 4月1日 男女共学化(38名の女子生徒普通科へ入学)
平成24年 4月1日 情報処理科改編 情報会計科に科名変更・共学化
平成25年 4月1日 クラブハウス・やわらぎ寮(女子寮)完成
校長に高橋 一志就任
平成28年 4月1日 理事長に市原 則之(元日本オリンピック委員会専務理事)就任
8月25日 本館完成
平成29年 4月1日 普通科改編 保健医療コース・みらい教育コースを設置
特進フロンティアコースを設置
機械科を工学科へ改組
7月26日 情報会計科 山陽まなびやオープン
平成30年 4月1日 普通科進学コースに選抜クラス設置・剛健寮(男子寮)設置
平成31年 2月25日 新体育館「Dream Arena SANYO」完成
4月1日 校長に今川 孝徳就任
令和元年 8月8日 ニュージーランド短期語学研修開始
令和2年 4月1日 工学科改編 インテリアデザインコース設置・共学化
令和3年 2月1日 テニスコート(オムニコート4面)・陸上競技用跳躍レーン 新設
6月1日 弓道・アーチェリー練習場 新設
令和5年 4月1日 校長に葉柳 津盛就任 普通科選抜コース設置
令和6年 4月1日 普通科情報コース設置

サンくん

山陽高校マスコットキャラクターが出来たのは平成24年だよ
いろんなところでお会いできると思うのでよろしくね!

ヨウちゃん