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2つの平和学習

今年の夏、本校では2つの「平和学習」を行いました。

原爆投下から79年が経ちました。1945年8月6日の原爆投下によって、本校では500名近くの生徒及び教職員が亡くなり、そのほとんどが中学1年生でした。原爆によって愛する子ども、親、兄弟を失った遺族の方々は、心の傷を抱えたまま「戦後の平和」とどう向き合い、どう受け止めていったのでしょう。今年はお二人の方にお越し頂き、講話をして頂きました。

7月23日、内藤慎吾さんによる「被爆体験の講話」を受けました。

1945年8月6日、8時過ぎ、慎吾さん(当時6才)は学校を休み、弟たちと遊んでいました。ふと見つけた弁慶蟹に「こっちにおいで、おいで」と誘われるように歩き、防空壕入口付近で被爆、一命をとりとめました。弟と妹はほどなく亡くなり、真っ黒に焼けただれたお父様も「天皇陛下ばんざーい」という言葉を最期に10日に亡くなりました。国民学校3年の次兄は発熱・嘔吐・下痢を繰り返し30日に死亡、6才の子供にとって家族の死は耐えがたいものでした。また、山陽中学1年生で雑魚場町に建物疎開作業に行ったきり消息不明となった長男の英樹さんは、9月のある日、「8月14日死亡」と書かれた小さな白い箱に遺骨が納められ、帰宅をしました。

内藤英樹くん(写真は被爆から6年前のもの)

8月6日は土屋浩さんの講義を受けました。曾祖父の亀田政一さんによる「亀田家遺志」を公開、手記には2人の愛児を失った時の様子が克明に綴られていました。土屋さんは「平穏な日々の中で、忙しさを理由に子ども達に押しける形でなく、子どもらと向き合って伝え残すことを我々の世代が先頭にたってやらなければならないと考えるようになった」と語られました。

終わったはずの戦争と、語られることのなかった広島。あの日を生き残った人々も、その多くが、原爆症に怯え、苦悩の中を生きてきました。

亀田昌樹くん(13歳)

生徒の感想です。

これまで戦争体験や被爆体験を聞いたり読んだりしたことはあったけれど、体験を継承するという視点からのお話は初めてで新鮮だった。私にとってまったく別の視点で、体験をしていない者がどのような取り組みができるか参考になった。原爆資料館に足を運んでみようと思った。これまで以上に関心を持って、戦争や原爆について学んでみたい。(普通科1年A組 M・Eさん)

小学校の頃から平和学習を受けてきた。元々、広島に他県から転居したこともあり、家族に被爆者はいないが、戦争には関わっていると思う。聞いてみようと思った。自分の家族はどうだったのだろうと思いをはせることができた。(工学科3年A組 M・Sさん)

左からナレーション・監督・音楽担当

内藤慎吾さんの講話をもとに平和動画の制作をした写真部の普通科1年の石井くんは「戦争などしなければその命が助かったかもしれない。今も戦争が起れば、また同じ事を繰り返してしまうかもしれないことに悲しみや、怖さを感じます。」と言い、工学科1年の松永くんは「無差別に人や故郷が破壊された事実を校内に伝え、平和な日常があたり前でないことを知ってもらいたい、そんな思いで動画を作成した」と語ってくれました。

私達が未来に向かってできること、それは「知ること」。そして広島に住む私たちができること。それは「残すこと」です。平和な未来を築くために今の私達に何が出来るか、ともに考えていきましょう。
内藤慎吾さん、土屋浩さん、本当に有難うございました!

 序         峠 三吉


ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ


わたしをかえせ
わたしにつながるにんげんをかえせ


にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ